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令和が始まった。実家にいる。数年前に定年退職した父が16時に飲みに出ていて、まだ帰って来ない。もう遅いのに雨がやんだら10歳になるネコも庭に出た。まったく我が家の生き物たちは元気だ。
そんな私は終わってしまった平成で何かやり残してないかな?と思いながら色んな人から観ろ!と言われて観ずにいた『ソラニン』を観て過ごした。アマゾンプライム会員でよかった。それでも携帯で観る映画は落ち着かない。メッセージの通知は出るし、時間を気にしてつい軽く指で画面を叩いてあと何分くらいか確認してしまう。明日休日出勤だから、というのもあるけどどうしてもやってしまう。時間を確認したからってほかにやることなんて今日はもうないのに。
やっぱりいくら動画文化で携帯で観れるとはいえ、映画館で観ないと意味がないものっていくらでもあるなと改めて思う。
とりあえず、劇中の高良健吾の出で立ちやら色々が元彼の部屋にあった学生時代の元彼の写真の雰囲気にすごく似ていて笑った。
ギターを弾く人だった。彼の家で私がお風呂に入っている時に聴こえてくるギターの音を思い出した。湯船で乗っかていた私の鼻歌も、彼に聴こえていたのだろうか。
去年の秋の始まり、ゆるい幸せがだらっと続けることを、私は許せなかった。ゆるい幸せというより、壊れそうなものや壊れているものを見ないふりがまるでできなかった。ゆるくいたいけど、幸せにうそをつくのはごめんだ。
とりあえず、今日一日は時代が変わっただけでなんとなくうきうきしている。それはゆるさとかそういうものではないけれど、そういう気持ちはずっと待っていたい。
なんて書いていたら父が帰ってきた音と、濡れてるじゃないか〜という声がするのでネコも帰ってきた。平和な新時代の幕開けだ。