夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

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歩いてたらとんでもない奇声がした。人間のやつじゃない。と思ったその瞬間、たたたっと道路を狸が横断してゆきましたとさ。

駅から離れた、けっこうな坂を登ったところに住んでる。たしかに山、ちかい。

私と道路を挟んだ公園にいた子どもたちが「あ!たぬきだぁ」と盛り上がっていて、子どもは気楽でよいなぁと思う。

文字にするととても物騒だけれど、人が人を○すっていうのはもう仕方ないとおもってる。長い長い歴史が証明してることだし、犯罪は無くならない。まして本能しかない動物同士は、もっと仕方ない。人間が動物をってなると、命をいただかないと生きていけないから、それはもう残さずたべましょう。で、そうじゃない悪意あっての、というのはほんとに許しがたいこと。でも法律があるのでここでは掘り下げません。

そして問題なのが動物が人間を、ってやつ。ほんとにこればかりは、どうしようもなくて怖いと思うのです。

そんな暗い哲学をなぞっているあいだも、子どもたちは「たぬきたぬき」と楽しげに、散り散りにたぬきを一目見ようと走り出す。子どもは動物っぽくてかわいいな。

子どもの頃、「子どもは好き」っていう大人をテレビで見て、私は何歳になったらこの人に嫌われるのだろうって思ったっけ。

いつのまにか狸は完全に我々の視界からいなくなっていた。こういうの大人としては通報したほうがいいのかな。など頼りなく悩む私をよそに、子どもたちはたぬきがいなくなってまた集まり始めます。たぬきを見たとか見ないとかひとしきり伝えあったのち

「春だもんね」

いうのが彼らのまとめだったようす。いやぁ、この地域は狸が出たら春なのか。そうおもうと一気に気持ちが春めいてきて、人は生きていくのに人が必要だと再発見の春になってしまった。