夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

日記 3/26

新しい街に住んで初めて春を迎えて、いつもの道を歩きながらちらほら桜の花を見つけて、あぁこの木も桜だったんだなと気づく。

桜の花は満開じゃなくてもきれいだと思う。自分の名前の花だからだろうか。

そして満開だと嬉しくなってしまう。自分の名前の花だから。

 

つくづく、下り坂のような日々だと思う。持ち直したと思ったらダメになる。タイミングが少しずつ違えば、全部こんなことにはならなかったのかなったのかなと思う反面、どこかで何もかもこれでよかったんだよ!と私の中で私が叫んでいる気もする。人に教えられた正しさや、どこかで見知った都合良さで、その叫びはどんどん遠くに追いやられていく。そうして自分自身で耳を塞いでいる方が、ずっと楽になってしまった。

 

そんなとりとめもない夜ばかりだったのだけれど、今夜は久しぶりに本当に腹の底から叫んだ。坂道で隣を歩いていた友人が急に腕を引っ張って走り出した。

旅行帰りの友人のトランクが勝手に走り出してしまったのかと思ったけれど、私のことを励ますために友人自ら走り出したことはすぐわかった。一気に坂を駆け下りながから、結構怖くて思わず叫んだ。

足が遅い私と違って、体育会系の彼女に引かれる未体験のスピードは怖かったけれど、叫ぶのは気持ちよかった。心臓が、恐怖と驚きで思い出したように強く鳴る音がした。

生き返ったみたいだった。

一人なった後、「ずっと、叫びたかったよね」と自分自身に耳を澄ましながら答える。誰にも聞こえない胸の内の叫びをちゃんと聞き取って、それを信じることが、今の自分にできることであり、これからの自分のためにすべきことだから。

 

今夜のことは、きっと忘れないのだろう。いつか死ぬとき思い出すであろう瞬間にたくさん出会った、あたたかい光が差すような夜。冬が息絶えるように去り、春がもういちど生まれるように、始まろうとしている夜。