夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

水中のめざめ

26歳になった。なんかびっくりしている。もうずいぶん大人だなぁという気持ちと、いつか長い人生を振り返ればまだまだ若いうちに入るのだから、まだまだこれから!という気持ち。26年の人生の記憶の中では、まだ子どもだった頃の方が長くて、正直大人の生活にはあまり慣れていない。

0時を迎えた時、私は浴槽の中にいた。熱すぎず、ぬるすぎないお湯の中で年末疲れの体を癒していた。ぷかぷかとしていて居心地が良い。生まれる前の母のお腹の中もこんな感じだったのかもしれないな、と思う。

母の胎内にいた頃のものはもちろん何一つ覚えてないし、小さい頃の記憶なんてもうほとんどなくて、わざわざ意識さえしない記憶メモリの中でも、どんどん忘れられていっているのだと思う。

私はどんな子どもだったのだろう。どんな大人に憧れていたのだろう。昔の私が見たら、憧れられる大人に、今なれているのだろうか。

25歳は同級生の第一次結婚ラッシュとよばれる波があった。25歳になった時は「25歳の間に結婚はムリでも婚約はしていたい」「この歳ぐらいにそうなっておくべきなんじゃないか?」となんとな〜く思っていた。友人たちの花嫁姿はどれも本当に美しかったし、まぶしかった。なるべく若いうちに私も…と思ったりもした。結婚を考えられる相手もいないのに。そもそもほんとうに早く結婚したいわけではないこともわかっている。じゃあ、何がしたいのか?と言われれば、わからなかった。不満はないけれど、漠然としたこのままでいいのか?という不安。そこから目を背けるように生活していた。

何かのタイミングで実家で高校時代のノートを整理していたとき、受験勉強用のノートの表紙にある言葉が書いてあるのを見つけた。好きな作家の一人であるアントワーヌ・サン=テグジュペリが遺した、こんな言葉だった。(画像は前の前の携帯電話に入っていた)

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a goal without a plan is just a wish.(計画のない目標は、ただの願い事だ)

受験生だった頃の私は、受験本番から逆算した残りの時間でいかに勉強するかに日々全力を注いでいた。それが8年経った今、こうなったらいいのに。あぁなったらいいのに。とばかり願って何もしない自分になっていた。

現状を変えたいなら、自分で考えて計画し、次の計画に映せるよう行動しなくては。ハッと気がついてから、その言葉を意識して行動するようになった。すると、いいことがいくつかあった。いいことがあったおかげで、25歳の時より、26歳の今の自分の方がずっと好きになったと思う。

この一年楽しいことばかりではなかったし、むしろ苦しいことの方が多かったと思う。特に、人間関係では悩み、心も体もボロボロになった時期もあった。

そんな私を救ってくれたのは、好きなことをたくさんやっている人たちと過ごした時間や、そのつながりで出会ったたくさんの人たちだったと思う。そもそも友だちが少ないので、短歌や文章を通してこの一年で出会った素敵な人たちはもちろん、その数の多さに驚いている。

自分の人生の、たった1年の中で、こんなにたくさんの幸せな出会いがあるなんて思わなかった。こんな言葉をかけてもらえるなんて思わなかった。こんなに思い出ができるなんて思わなかった。と、たくさん思った。

最近、毎晩湯船に浸かってきちんと入浴するようにしている。一人暮らしをしているマンションの浴槽は追い焚き機能がないので、毎日水道代とガス代がかかってしまうけれど、その分だけ人に付き合ってやっていただけのことをやめればいいと気づいた。入浴はこれだけは譲れないという生活のこだわりの一つになった。血行が少しずつ良くなったからか機嫌が安定したし、去年とちがって風邪をまったく引かなくなった。ほんのちょっとだけ、強くなったみたいで誇らしい。

私の誕生日は間も無く終わり、大晦日がやってくる。毎年同じように、歳を重ね、年が変わる。忙しない毎日の中で、のんびり振り返ることが許されるこの年末の時間が、どうか出会った人たちにとって充実したあたたかい時間になりますように。

これからもよろしくお願いします。