夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

優しい名前たち

自分と似たような名前の人に、勝手に親近感を覚えてしまう癖がある。


  誰かと仲良くなる時、あるいは恋人ができる時なんかも、お互いに初めて会った時から「なんとなくこの人とは良い関係になれそう」と察することがあると思う。

第一印象として顔立ちや服装が与える影響は大きいけれど、人は個人特有の空気感を持っていて、それが自分のものと似ているとどこか緊張せずコミュニケーションを始めることができると感じている。それに加えて、その良い空気感の人が自分の名前と似たような名前の人だと、妙に前のめりになってしまうことが多々ある。


人は人と会う時、基本的にはまず会う約束をする。職場で新しい仕事相手と会うようなことがあれば事前にアポイントメントをとってあるのが社会人のマナーとしてあたりまえだ。今日のネット社会で、共通の目的がある者同士が集ってから実際に会うという場合も、まずはだれかしらの会おう、という一声がないと何も始まらない。ぶっつけ本番初対面の合コンの場合だって「幹事がそれなりに考えて呼んだ人」というフィルターが最初からかかっているので、初対面の人達だけど会っても良いかなと思えてしまう。


まだ会ったことのない人と会う時、どんな人が来るのだろう、どんな人に会えるのだろうと前の晩、勝手な憶測を立て始める。その上で名前は、その人に対する想像力を膨らませる道具になりうると思う。その想像力が特に膨らむのは、自分と同じ名前ではなくて似たような名前の人に、だ。

同じ名前の人にもこれまで何人か会ったことはあるが、逆に同じ名前だからこそお互いの違いをより強く感じたりしてしまう。また、特に女性がそうなのだけど、自分と同じではなく、親友と同じ名前の人にも勝手に親近感を覚えている。余談だが、私は名乗った時に「家で飼ってるペットと同じ名前です」と言われることがたまにあるのだけれど、すごく反応に困る。いい回答があれば是非教えてほしい。


本題に戻る。似たような名前、というのは音と文字数が重ねっていることだったり、その名前の一般的な多さによったりもする。活字にした時のぱっと見もある。(読み方は違うけど同じ漢字一文字の名前とか)

私の場合だと表記もそうだし、花の名前にちなんだ名前の人にはまず興味が湧く。

ちなみに会社の同期は苗字にある花が入っているので、初めから仲良くなれそうと勝手に思っていたし実際今もずっと仲は良い。

この名前に対する変なこだわりは、学校のクラスメイトや同級生の中で同じ名前の人がいなかったことで、コミュニティの中で目立つ名前だったことから生まれたのだと思う。また、初対面の人に名前をいい名前だと褒められることが多かったこともあると思う。苗字が平凡なので、下の名前の印象が強いということも、友人いわくあるらしい。

日本人の多くに愛される花の名前なので、世代を問わず褒められやすかったり気に入られる名前であることは納得できる。それでも、意地悪な子に名前負けと言われて深く傷ついたこともあった。自分がどんな苦しい時も、名前だけはいつも華やかさを放っているように感じてしまい、無性に嫌な気持ちになっていたこともある。それでも、今は自分の名前が好きだと言えるし、振り返って見ても自分の名前を好きだった頃の方が長いと思う。

こんなふうに名前に引っ張られている人生について、以前ある人に話したことがある。丁寧に聞いてくれた彼女は「20数年その名前で生きてくると、やっぱり人間はその名前っぽい顔になるよね」と言ってくれた。それがほんとうに嬉しかった。(ちなみにこの子は幼馴染と同じ名前なので最高)

  名前はとても素敵だと思ってたのに会ってみたら、あまり深い仲になれない人だってたくさんいる。自分1人が仲良くできる人脈やコミュニティは限られていると思う。ただ、心地よい空気感に包まれているときに、素敵な名前だと思える名前を、声に出して呼べると、優しい気持ちになれる。

   でもきっとそれは、もう呼べない名前が増えていくことに抗えないからなのかもしれない。振り返れば、決定的な出来事で関係が終わってしまった人も、何かあったわけじゃないけれど、もう会うことはないのだろうなとなんとなく思う人もいるし、これからも増えていく。

もう名前も呼べない誰かと同じ名前の人達に出会い、その名前を声に出したとき、ちょっぴり泣きそうな気持ちになる。同時に、ようやく救われたような気持ちにもなる。