夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

スイートシート

 

かつて、映画を観に行ってそれきりになって別れた人がいた。彼の家はとても遠くて、新幹線に乗って会いに行っていた。

 彼の家の近くには、大きな公園とその敷地内に大きな商業施設があった。そこでデートをするのが私はとても好きだった。(ずっと東京で育った私は、田舎町の高校生たちの定番であるイオンデートにただならぬ憧れを持っていた)

イオンデートの夢を叶えた喜びを伝えると、田舎をバカにしてるでしょ、と笑ってばかりで私が本気で喜んでいることが伝わっていないようだった。彼は元々、もっと田舎の出身なので私の憧れなんて理解できなかったのだろう。それでも、少しは理解しようとしてくれたっていいのに、と思っていた。

 

彼は映画が好きで、その商業施設の映画館に設置されているスイートシートで見る映画は最高で、私とも観に行くのだとよく言っていた。ちょうど遊びに行く休みの時にやっている映画で観たかった作品が被り、そこに行くことになった。席の予約も彼がしてくれていた。スイートシートってどんな席なのだろうかと新幹線の普通席で延々と考えていた。

大学があった神奈川の山の方のキャンパスの近くの町にも、似たような商業施設があり、映画館があった。いろんな席があって、寝ながら見れるシートや、カップル専用の2人掛けソファタイプのシートがあった。

 

飛行機のファーストクラス(乗ったことはないですビジネスクラスもないです)みたいに一人一人が小さな部屋みたいになっている座席だった。周りの声や音が聞こえにくいように、頭上を覆うように無駄に大きな屋根が付いている。コーヒーメーカーの下に置かれたカップみたいな気持ちだった。(大げさではなく、そのくらいのサイズ感だった) 席はスイートの名にふさわしく、広々としていて上質そうなふかふかで座り心地の良い生地で、長い上映時間でも快適だった。全体がリクライニングになっていて、足も伸ばすことができた。

いいでしょ?いいでしょ?と、上映前の時間に彼はとなりのコーヒーメーカーからひょっこり顔を出して嬉しそうに聞いてきた。たしかにいい席で、映画を観るには最高の環境だ。だけど、せっかく2人で映画を観にきたのにこんな個人ボックスで観るのはちょっと寂しい。なんて言ったら怒られそうで黙っていた。それぞれの席で映画を楽しんだ私たちは、終わった後ふしぎなほどに映画の話をしなかった。映画はとても良かった。けれど、私たちの雰囲気は妙にぎくしゃくしていた。

その後、彼から電話で一方的に別れを告げられた。一緒にいるのに私がつまらなそうにしていてもう無理だと言っていた。そんなことないと言い切れない自分が情けなくて、その別れを受け入れ、遠距離恋愛は終わった。

あの席はたしかに気持ちよかった。それでも今思っても、やっぱり孤独だった。1人で見にきてるのと変わらないじゃないか、とずっと思っていたのに言わなかった。言ってもわかってもらえないと、彼にあきらめをつけたのは私の方が先だったのかもしれない。

目の前に広がる大きなスクリーンを見ながら、となりの席の人の横顔が動くたびに少しだけ視界に入る。それが心地よい映画館デートを、また誰かと出来る日を信じて。