夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

映画

映画を観た。

人と二人で映画を観たのは久しぶりだった。

すごくいい映画だったし感動したけれど、思いの外ほろりとくらいしか泣かなかった。その人と二人で映画に行ったのは初めてだった。最近まであまり話したことのない人だった。

先日、飲み会の帰り、快速の電車で二人になり、今日観た映画が気になっているという話になった。夏の終わりに公開されたSUNNYという映画で、もうすぐ上映終了だったから、今行かないと終わっちゃうと念を押され、観に行った。人が少なくて、自分たちのために貸し切られたかのような空間だった。

 

以前の自分なら、もっとこのシーンで泣いていたのではないかというシーンが何度かあった。なんで泣けないんだろうと思った。

 

帰り道で、少し年上のその人は、映画に出てきた90年代の女子高生がずいぶん懐かしいようで、なかなかの熱量で語りはじめ、あぁそういえばこの人も一緒に映画を観たのだったと思い出した(とても失礼)

 

映画はとても面白くて、とても満ち足りた気持ちになっているのに不思議な気持ちだった。

こどもの頃から泣き虫で泣いてばかりいた。そんなにたくさん泣けるなら女優を目指したらどうだと言われたが、泣こうとして泣いてるわけではなく、勝手に涙が溢れ出して止まらないのだ。

 

泣き顔を見られたくない人がいる!なんて強がりはなく、個人的歴史の中で「泣き顔を見られて困る人」という人種は早い段階で滅亡した。

ただ単純に、泣かなくても平気なことがまた1つ増えたのかもしれない。

 

気づいた頃には、身体だけが完全に大人になってしまった。

後は小さな克服の連続だし、ある日突然大好きだったなにかを嫌いになってもう完全に無理になってしまうこともある。

それの一つ一つに私はバカみたいに声をあげて泣いた。わからないことに出会うことは怖い、しんどい、避けたい。でもきっとこの先もそれは増え続けるし、どんどん慣れていくのだろう。

 

もう心を動かされることが減っていくのかな。それが一番、なんだかやだな。