夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

恋を語れば

「恋って何だと思う?」

華金の中華料理屋で、恋について語り合った。ただその時の私は、一週間の疲れからかひどく酒が回って寒くて震えが止まらなくて、ろくな回答ができなかったので、改めてちゃんとまとめたいと思った。

恋に縛られるのは、好きな人や付き合っている人がいる時だけではないことに気づいたのはいつからだろう。帰りの電車に揺られながら、家について浴槽にお湯を溜めながら、湯船のお湯がぬるくなるまで浸かりながら、考えるのをやめたくなったりしながら、ずっと考えていた。

それを語るには到底短いが、それなりに色んなことがあった26年弱を振り返った結果、「いつのまにかしていて、いつか必ず終わるもの」という回答が一番しっくりきた。

これは私の言葉ではなくて何かの歌なり本なりで出てきた言葉だ。でも、それでいいと思う。恋を自分の言葉で定義できるようになってしまうほど、恋の事をこれ以上わかりすぎたくない。

そんなこと考えさせないくらい、夢中にさせてくれる人か、安心させてくれる人に出会ってさっさと結婚したい。できれば後者の人がいい。

なんてこの頃本気で思う。でもそう思うようになってしまったこともなんだか虚しい。もっと恋に希望や期待を抱いていたい。

 

以下は昔のわたしの話である。興味ないからはここら辺で読むのをやめたほうがいい。実にとりとめがない。

「あの瞬間恋に落ちた!」といった夢みたいな経験はない。でも、付き合った人との思い出の中に、それが起きた瞬間「あ、今のこの出来事、鮮明に記憶されてずっと忘れないやつだ」と悟ることがある。

今クールで放映中のドラマ「獣になれない私たち」で、ある登場人物が結婚の決め手について聞かれたとき、「出会った時、鐘の音が聞こえたから」というような回答をしていた。(料理屋での会話のきっかけもそれだった)

鐘が鳴る、というような表現をするのであれば、私のその経験は「昼間に遠くで突然雷が落ちた」といえる。

ちょっと脱線するが、小学生のころ理科の教科書で「血管」の図を見たとき、赤い雷みたいだと思った。こんなやつ。

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だから、全身に驚きや興奮のような感情が一瞬で駆け巡るとき、自分の中で雷が光るような感覚、と子どもの頃から今もなおずっと思う(何も成長していない)

話に戻る。具体的に何があったのかは語らないが、それは、なんてことないタイミングで突然起きた。不穏さを窺わせるほど眩しいのに、希望の光とは到底呼べないような光だった。怖いと思っているのに、あまりに一瞬で逃げようのない光。やがてはっきりと聞こえる、空が崩れ落ちて世界に叩きつけられるような轟音。ディズニー映画の、悪い魔法にかけられてしまったみたいだ。ほんとにディズニー映画だったら、真実の愛を教えてくれる最愛の人とキスとかしたら忘れられるのだろう。でもわたしは真実の愛なんて鼻で笑ってしまうただの人間でしかなく、悪い魔法の解除方法はわからない。たぶん永遠に。

付き合ってる間は、デート中に彼の背中を見ながらふとその落雷を伴う出来事を思い出してはふふ、と一人で笑ったり、友人にのろけたりした。好きな時に好きなだけ思い出からひっぱり出しては眺めたり、見せつけたりしていた。

別れる直前や別れたての一番寂しい時期は、その瞬間を思い出したら辛いとわかってるから、思い出さないようにしていた。あの瞬間を思い出してはいけないものにしてしまった、彼と自分が悲しくて何度も強く泣いた。

いずれ彼とのことを忘れたら、また平気で思い出せるようになってしまうのだろうと思うと、それも悲しくてまた泣いたりしていた。

 

この一連の流れが終わると、何もなかったかのように恋がしたい、なんて思う。飼い慣らせたと思った恋の正体がもっとよくわからなくなってしまったのに、それでもしたいと強く思う。

 

中華料理店でそんな問いについてあれこれ言いひどく酔っ払いながらも強く感じたことは、こんなとりとめもない恋とはなんだろうねって人と本音で話し合えることは、希望なのかもしれない。

答えなんか出なくても、人に話し、人に聞いてもらえることで救われる感情があるんだなとわかった。

 

また、美味しいものでも食べながらゆっくり話そうね。