夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

川にまつわるエトセトラ

育った家の最寄駅は、川の名前だった。そのせいもあるのか、川が好きだ。

生まれてから3年間、道路を挟んで川の目の前の家に住んでいた。その家で撮った写真を見ても間取りをはっきりとは思い出せないが、川に臨む広いベランダのある家だった。新しい家から遠くなくて、川沿いを散歩するたびにその家の前を通った。その家には、今は他の家族が住んでいる。

 

海よりも川が好きだ。母の出身地は鹿児島で、海辺の町に親戚が今も住んでいて、毎年のように遊びに行く。景色も空気もこちらに比べたら断然に良いが、風によっては朝から潮くさくてかなわない時がある。また、この海が世界の違う国に繋がっている、というよくある言いまわしに関しても、子どもの頃から果てしなくてなんだか怖いと思ってしまう。

  それに比べて川は無臭だし、適度に涼しい。うちの前の川は海からだいぶ離れているので、道路を挟んだ我が家に届く風が強すぎることもなかった。

この川は、全国でも有名な花火大会の会場でもある。普段は各駅停車しか止まらないような人っ気のない駅が、その日だけは地獄絵図になる。(花火大会のある町に住んでいることはとてもラッキーだ)

 

対岸よりも私の家があった側の土手がとても広く、休日は野球場やラグビー場になっているし、普段から近隣の中学高校の運動場として利用されている敷地もある。中学のマラソン大会も、この土手で行われたが、いい思い出はひとつもないので置いておく。

この川の向こう岸まで橋渡って行くのは、少し体力がいる。また都内23区の川なので、決して綺麗な水ではない。いつだって砂と土で茶色いし、川岸にはゴミがたくさん落ちている。捨てられたのか、漂着したのか、あるいは両方なのかは、わからなかった。

そんな川に入ることは禁止されていた。茶色い川の底が見えたためしはなく、どうやら真ん中のあたりは深くて流れが早いとのことだった。小・中学校では夏休み前の全校集会では「夏休みやすみの宿題は早めに済ませましょう」、と同じトーンで「どんなに暑くても川に入ってはいけません」と毎年注意されていた。(でも飛び込む人はいた)

地元は都内でも屈指の治安の悪い地域なので、こういう拓けた場所は時代を超えても柄の悪い学生たちの溜まり場になる。わかりやすく喧嘩をしてたりするときもあれば、いわゆるスクールカーストの上位層カップルのデートスポットであり、愛の舞台になることもあったらしい。そんなこともあり、私は思春期頃から大人になるにつれ、だんだん川に近づかなくなった。

 

今住んでいる神奈川のマンションは、歩いて大きな海に行くことができる。先日、友人たちと夜の海っぺりに行った時、東京方面に、小さな光が回っているのが見えた。スカイツリーだ。

住んでいた町はスカイツリーの最寄駅ではなかったけれど、大きな大きなスカイツリーは私の町からでも十分大きく見えた。大人になって、やんちゃだった同級生たちも町を出たり、働いたりし始め、私は再び好んで川にいくようになった。

夕方に土手の上に立つと、落ちて行く太陽と私の間に影で黒いスカイツリーがそびえ立つ。川からは、強く涼しい風が吹いている。

その時間がとても好きだった。

 

神奈川で遠くに光るスカイツリーを見ながら、あの川は大きい川だけれど、やっぱり海はずっと大きいのだと感じた。

いつのまにかたくさんの時間が経ち、ずいぶんと遠くに来てしまった行けるようになってしまったんだな、と思った。