夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

主役たちの世界

人生の主役は自分だと思う。「主人公感覚」という言葉を知ったのは、確か児童心理学の授業だった。

私の大学の学部は教育学科と心理学科があり学科をまたいで自由にとれる授業が多かった。私は教育学科だったけれど、教師になりたかったわけではないので、学校教育系の授業にあまり関心がなく、心理学科の授業を好んでとっていた。

 

じゃあなんで教育学科にしたのか、という話を関係ないけどちょっとだけする。高校で強豪吹奏楽部に入部したがすぐストレスで病気になり部活を辞め、私はひどくやさぐれた。高1の間、学校にろくにいけてなかった。高2で通い始めた予備校は、当時はまだ目新しかった個別の映像授業をウリにしていた。動画を自分のペースで動画を再生しては止め、ノートにまとめ終わったらまた再生。集団授業じゃないから、周りにおいていかれることはない。何も気にしなくていい。そんな自由な受験勉強おかげで、周りになんとか追いつき、無事に大学に合格した。その経験から、最新技術があれば学校じゃないところでも教育が受けられたり、勉強したい人ができるのってすごいことだな、というところに関心を持っていた。それで、教育学科を選んだというわけだ。

 

そんな教育学科の私が授業をとっていたのは、仲の良い教授だったからというのもある。先生は児童福祉施設や教育相談所などで勤めている人で、そこで生活する子どもたちや、何か問題を抱えている親子のサポートをしている。そこで実際に起きた出来事をテーマに、毎週色んな話をしてくれた。

 

友人関係で苦しみ不登校になってしまった学生がテーマの回があった。いじめられっ子や、いじめっ子というのが話の主になっていたけれど、自分自身がグループの中心的存在ゆえに悩んでしまう子、目立たない自分が嫌な子、色んな子たちがいる。

自分のポジションを気にしては、ふるまいを選択している。実際、それはうまくできた方が色々と要領よくすごせる。でもこの自分の要領の良さを、嘆く人もいる。自分の人生なんだから自分のやりたいようにやればいい、教授は一人間の意見として学生たちに語りかけていた。授業後に何度か事前にお誘いしたりしてもらったりして、お茶や食事をしたことがあった。授業じゃないから言えるけど、と前置きして教授は愚痴のような本音のようなものをたくさん話してくれた。教授というだけあって、学生時代から海外経験豊富な教授からみると、日本の若い学生は目の前の対人関係や、場の空気を壊すようなことに対して、あまりに怯えすぎだと悲しそうに言っていた。

 

私は主人公感覚なるものがすごく強いと思う。おそらく原因は二つあり、一つは自分の話(特に学生時代は恋愛)をするのがすごく好きなこと。その度に、さくらちゃんの人生は漫画みたいとか小説みたいとか言われてきた。言われることだけでは飽き足らず、こうやってブログに書いたりもしている。ネット上に自分のことを書き始めたのは、パソコンが家に来た小学3年生頃だろう。私からしてみると、両親が共働きの一人っ子で家でおしゃべり相手がいないことをとてもさみしがっていたせいで、ひとりむなしく文章にしては、次の日友達にきのうまとめた自分の話ばかりするようになった気がする。

二つめは、その一人っ子であることを中心とした物理的な家庭環境だ。母の書斎は書庫のようになっており、そこで随分偏ったタイプの書籍に囲まれて私は育った。

 本については後述するとして、テレビに関してはとなりのトトロのビデオばかり見ていた。そのせいか家の中で子どもの世界を生きているのは私だけで、トトロみたいに子どもの私にしか見えないものがきっとあると思い込んでいた。他にも、ハリーポッターの映画を観てからは、実は自分は魔法使いかもしれなくて、それをいつか伝えに来る魔法使いが人間界に紛れ込んで私を探しているのではないか?だとしたら友だちにバレてはいけない!人間のふりをしなくては!と真剣に考え、毎日どこか警戒しながら小学校に通っていた。我ながらほんとうにどうかしていると思うけれど、本気でそう思っていた。サンタさんは小6までしか来なかったけれど、魔法やトトロみたいな不思議な力や時空のねじれはずっとどこかで希望を捨てきれていない節が未だにある。恥ずかしながら、未だに。。

 その原因が本好きの両親たちだ。両親はそれぞれだいぶ違う方向だけれど、ファンタジー作品が好きだった。

母は海外の児童文学が好きで、とくにミヒャエル=エンデの『モモ』、ロアルド=ダールの『マチルダ』『チャーリーとチョコレート工場』『はてしない物語』をよく読んだり、映像化したものを観たりしていて、私も字が読めるようになってから、その隣によくいた。アニメのトトロしか観て来なかったこともあり、海外のファンタジー実写作品なんて衝撃的な不思議な世界だった。

一方で父は日本の妖怪が大好きで、ゲゲゲの鬼太郎でおなじみの水木しげるを筆頭に、荒俣宏京極夏彦などの妖怪が出てくる時代小説ばかり読んでいたし、図鑑もたくさんあった。父の本は子どもの私には漢字も話も難しいだけでなく、表紙や挿絵が不気味で仕方なかった。首から上は人間の鳥や、逆に頭しかないのにやたらと血まみれの白っぽい頭がいっぱいあるだけの絵。あまりに部屋に多くおいてあったからか、気持ち悪さの中に何かしらの芸術を感じてはいた。それでもやっぱり怖くて、好んでその世界を楽しもうとは思わなかった。

 そんな環境で過ごし、私は自宅の小さな書庫で日本と世界の本を色々と知った気になった。学校の図書館では、好んで偉人の伝記ばかり読んでいた。ほんとうにいた人の本、というのがファンタジーだらけの本棚に囲まれて育った私には衝撃の出会いだった。無駄に世界中の偉人の本名を覚えてはいるが、誰がどんなことをしてきた人かというのは、人並みにしかもう覚えていない。ただ、地球上にはたくさんの物語があって、人の分だけ物語がある、なんてありふれた言葉に、その頃に自らたどり着いたのだった。そして、本当に生きていた人達は、みんな必ず最後に死んでしまうのだということを知った。

自分が生きている世界は、時間が経てば終わる映画や、マンガや小説とは全然違うのだ。特別な力で自分以外の誰かにはなれないし、主人公でも最後に死ぬ。それが人生なのだと、子どもながらに悟った。それに気づいた時、最初は自分がいつか死ぬのが嫌だったし、怖くなって迷っていた時期があった。それでも、そんな迷いを吹き飛ばすほどに、青春が思春期とともに襲いかかってきた。

自分にはこんなにマンガや小説みたいなことが起きたり、起こらなかったりした。いいことも、悪いことも。こんなにも短時間で、こんなにもたくさん。でもこれ、映画じゃなくて、ほんとうの人生なんだよ?だとしたらすごくない?映画みたいに巻き戻してもう一度観たりできないから、いちいち感動してる場合じゃないんだよ。でも、いちいち感動したくなるほどに、素晴らしい瞬間ばかり起きる日もあるんだよ。自分で自分に言い聞かせるようにすることでしか乗り切れない孤独が結構たくさんあって、本には書いてないことばかりが起きるのが人生だと、今もなお思わされながら生きている。

私は自分が生きている世界と、誰かによって作られた世界に境界を作ったのが早かったのだと思っていた。ただ最近になって、最初からその境界を持たずに作られた物語を享受しながら一つしかない世界をずっとまっすぐに生きてきた人が思ったより多くいることに気づいた。

そういえば大学院でてきた親友は、ごっこ遊びについて研究していた。私は子どもの頃、ごっこ遊びを本気でやっていたけれど、一緒に遊んでいたあの子は、どこかででもこれはあそびだと悟りながら過ごしていたのかもしれない。

こんなかんじで長い間思い込んで来たことが簡単にひっくり返る毎日が、私はとても愛おしい。時に憎い時もあるけれど、もうしばらく続くし、できればいいものが多いそれであってほしいから、こうやってブログを書いたりするのだろう。