夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

下町アレルギー

25年過ごした私の地元は下町らしい下町だった。東京の端っこの町で、駅前の商店街はこのご時世にしてはにぎわっているし、夜遅くても飲み屋からは常連客たちの大笑いする声がドアが閉まっていても聞こえてくるほどだ。

東京の下町というと、「ちょっと電車に乗ればすぐ都心に出ることが出来、人の多さに疲れて帰ってくれば朝まで入り浸れる馴染みの店がある」ようなイメージを持っている人が多いと思う。それはだいたい合っている。そして、下町に暮らす人はそういうのを何より誇りに思っている。そういう下町文化にどっぷり染まっている人たちは、独特の空気感を醸し出しており、同じ下町出身の私でも、それを出されるのがすごく苦手だった。その嫌悪感を、私はある時から下町アレルギーと呼んでいる。

そんな私自身は、幼い頃からずっと東京で育ったことをとてもありがたいことだったと思っている。東京で、日本だけでなく世界中から集まった色んな背景を持つたくさんの人に出会えたし、たくさんのものを見てきたと思う。

新しいものや、極端に古いもの、珍しいもの、色んなものが集まってくる街、東京。住んでいる町から少しだけ電車に乗り、ちょっとのお金をかけ、たくさんの人混みを我慢すれば、そういうものはたくさん見ること、知ることができて、本当に貴重な体験がたくさんできるのだ。これは、都内の町に住んでいなければできなかったことだと思う。色んな世界があることを、幼い頃からたくさん知ることができたことは今の自分の大きな基盤になっているはずだ。

なのに、地元の人たちは自分たちの街以外の街や、よその人たちのことをどこか馬鹿にしている節があった。自分たちの町以外の東京を、どこか敵対しているような、大人になっても昔のヤンキーみたいな思想だけが残っていて、なんとも子どもじみたかんじがするのだ。

都心からちょっと離れた地元の町は、都会ほど人混みや情報が多すぎて困れたり疲れたりすることはない。かといって辺鄙な田舎ほど、まるで何もなくてつまらないというわけでもない。

なんていうか、ちょうどいいのだ。そのちょうどよさはよくわかる。ただ、私の苦手な人たちは、そのなんとも言えないちょうどよさを、よその人にやけに誇っている。縄張り意識が異常に強くて、いつも同じメンバーで固まってワイワイできる環境を全力で愛している。(そのくせ「出会いがない」とか言い出されると、私のアレルギー症状は深刻化する)

自分にはここに残って守らなくてはいけない何かがある、というような地方っぽい考え方が結構まだ若い人に蔓延っているように感じる。過疎化といった人口問題を抱えているわけでもなければ、古から伝わる伝統的な祭があるわけでもない東京23区の端っこで、何に対してそんなに正義感を抱いているのだろう。家業を継ぐといった理由で、自ら選んでそうした人だって中にはいる。それでも、変化を恐れて何もしないことを楽だからそうしているだけの人があまりにも多い。実家にいればお金も溜まるし、家事等も親が生きているうちは自分で全部やらずに済む。何かと楽で、苦労せずに済む。それに尽きる。

楽だからそうしているだけで、それでいい人はずっとそうしていればいいんだと思う。いつだって帰ってこれる場所と、いつまでもだらだら居続けられる場所は、きっと違うのだ。

便利さで溢れている東京にいると、気づいたら手に入れた気になってしまうものがたくさんある。大学に入り地方出身の同世代の人たちと知り合い、東京の人にはない貪欲さを目の当たりにしたときの衝撃は忘れられない。母の地元の鹿児島に暮らす親戚たちとの関わりで、「田舎の人」を知った気になっていたけれど、田舎で暮らすことを決めた人と、田舎から出ることを決めた人では全く考え方が違うのだ。

上京する・しない、という選択肢さえない東京の自分は、自分で決めたタイミングで外の世界に飛び出さないと一生気づけないものがどれほどあるのだろうか。私は色んなものが手に入る町に住んでいると思っていたけれど、この町にいては永遠に見られない景色があるとわかった。それを、一度きりの人生で見ないわけにはいかないと思った。そして、今年の夏の終わりに、一人で町を出た。

自分が育った町のことは、昔も今もこの先も、どの町よりも好きだ。帰るとそれなりにホッとするし、行きつけというほどではないけれど、行けば必ず足を運びたくなるパン屋やカフェはある。前の記事で書いた、河川敷の風景だって大好きで大切だ。

それでも、大人になればなるほど上記のようなしょうもないと思ってしまう人ばかりが地元に残り、尊敬できる友人たちは就職や結婚で町を出ていく。

私もそうなるべきだと、いつからか自然と思っていた。

仕事で貯めたお金で神奈川に引っ越し、4ヶ月が経とうとしている。引っ越してから今日まで、地元を恋しく感じたことが一瞬もない。ひどかったアレルギー症状は無事に落ち着きつつある。

ただ、自分でも驚いたのだけれど、引越しの日の朝に新しい町に向かって乗った電車がどんどん地元から離れていくことだけが、思いのほか寂しかった。

惜しむように、窓の外の流れる東京の景色をずっと見ていた。またすぐ見られるのに、なぜか見入ってしまった田町を過ぎ、乗り慣れた京浜東北線が、作りかけの高輪ゲートウェイ駅の中を走り抜けた。あの時は、こんな変な駅名になってしまうなんて思わなかった。

駅の中は一瞬だったけれど、足場だらけの不思議な空間で、今しか見られない景色だった。いつか、まだ存在しない町に住む可能性だってあるのだな、と思った。

わからないだらけの未来を楽しみに待ちながら、たまには地元にも帰ろうと思う。