夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

君の声で聴きたい歌

カラオケが好きだ。学生時代に一人暮らしをしていた頃は、眠れない夜によく一人で3時間くらい行っていたし、飲み会終わりにそのままカラオケオールなんてこともしょっちゅうだった。当時はだいたいその2パターンしかなくて、カラオケオールか、そのカラオケオールで歌うための練習としての一人カラオケ、みたいな日々だった。

人前で入れる歌は、とりあえずみんなで歌って盛り上がれるみんな知っている流行りの歌や、子どもの頃見てたアニメの主題歌(ポケモンおジャ魔女デジモンは無敵)、もしくは私が本気で歌う王道恋愛ソングで、べろんべろんに酔っただれか一人でも泣かせたら勝ち!と、勝手に自分と戦っていた。あと私の唯一の人に話せる特技として、カラオケで人の歌う歌にハモりにいくことができる。なるべく邪魔をせず、主キーを歌う人が気持ちよく歌えるように歌う技術力だけは、自信がある。自慢だが訓練してできるようになったわけではなく、幼少から習っていたピアノと、楽しかった吹奏楽部で自然と培われたものらしい。なので雰囲気で最初からイケるときとあるし、友人か、ハモってほしい曲名を事前に提供され、一人カラオケでそれを覚えておく、なんてこともしばしばあった。

そんなカラオケに命をかけていた学生時代を終え、良くも悪くも社会に染まり始めた今日この頃も、カラオケは変わらずよく行っている。特に、短歌で知り合った可愛い女の子たちと行くことが一番多い。最初にみんなで行った時に「エモい曲だけのカラオケにしよう」とだれからでもなくルールが設けられ、主に悲しい方の恋愛ソングを中心に、詩歌的だったり慕情的な歌ばかりみんなして歌い合うという、すさまじい空間を繰り広げている。お互い捨て身になりつつあるし、時々情緒がしにそうになるけれど、やっぱり楽しいのでこれからもたくさんやろうね。

そんなみんなのおかげで、知らなかった歌をたくさん知った。全員女だけど男性の歌も歌うから、私も曲は知っていたけど歌ったことのない男性の歌を歌うようになった。みんなの歌で聴いて気に入った曲はダウンロードして通勤しながらよく聴いている。

そこで、始めて歌手本人の歌声を知る。もちろん、ご本人様だけあって曲にあった歌いかただし、聴いていて心地よい。だけれど、やっぱりこの歌を知ったのはあの子の声だったから、あの子の声で聴きたいな、と思う。

最近は特に多いけれどそれは昔からそうで、色んな曲を色んな人に教えてもらったなと改めて思う。修学旅行のバスで担任の先生が本気で歌った演歌、18歳にできた初めての恋人が歌っていたゆず、へたくそな大学同期男子達のラップ、会社の上司が宴会でやるピンク・レディ、おとなしそうな後輩がガチで歌うすごい上手いレディーガガ。昔からよく知っていたけど、もう大好きにさせてくれた、みんなで歌うシメのスピッツ、楓。

あの頃のカラオケボックスで歌い明かした友人たち全員と、未だにつながりがあるかといえば残念ながら違う。自分一人で連絡をとり続けられるコミュニティには限りがあるし、特に私は人よりそれが狭い。反対にずっと連絡をとり続けている仲のいい友人でも、カラオケに一度も行ったことがない人もいる。でもそれが悪いことかといえば、絶対に違う。

毎日のように集まれば笑い合った声も、尽きなかった話し声も、きちんと思い出せなくなってしまった人が何人いるのかももう数えきれない。歌声は覚えていても、今どこで何をしているのかさえわからない人だって数えきれないほどいる。

駅から家までの帰り道、いつも音楽を聴いている。朝も音楽を聴いているのだけれど、駅に向かう道の途中まで、ランドセルを背負った子どもたちが元気よく走っていくのでとてもにぎやかだ。じゃれ合いながら、弾むように走っていく小さな背中たちを目で追ってしまい、今かかってる曲なんてどうでもよくなっている。そんな道も、仕事終わりにはとっくに真っ暗で人っ気が少なく、最近では寒いからか同じ場所によくいる猫さえ全然見かけない。ちょっと寂しいけれどとても静かで、音楽を楽しむのには素晴らしいシチュエーションだ。

ゆっくり歩きながら、耳元ではもう聴くことのできない歌声で知った歌がシャッフルで再生される。一日の終わりを実感しながら、あの頃のだれかの声に合わせ、歌を口ずさむ。