夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

無糖の静寂

一つ前の記事で書いたように、心が死んでしまって休みにした今日。心はさておき、体はどこも悪いところがないので、出かけることにした。

休日を過ごす場所は、要町にあるお寺の中のカフェにした。週一にやっているかいないかの年間で40日くらいしか営業していないカフェ。営業日でさえ12時〜18時で閉店してしまう。仕事終わりにも行けないレアなカフェだった。行ったことはないけれど存在は知っていて、ずっと気になっていた。たまたま今日が営業日と会社を休みにしてから知り、多分今日を逃したら二度と行けない気がして向かうことにした。

駅からすぐのお寺なのに、一応とばかりにスマホの地図の誘導に従って歩いていたらお寺の入り方の裏に出てしまい、気づいたら目の前は墓地だった。

心が死んだ人間が墓場に辿り着いてしまうなんて笑ってしまう。いや笑えない。携帯をしまって、来た道を戻る。さっき見た景色に戻り、それらしき道を進んだら、あっさりとお寺の正面に到着した。駅を出てまっすぐ行けばいいだけだったらしい。

カフェのあるお寺は、観光客がわいわい来るような観光地ではなく、地元の立派なお寺というかんじの大きさだった。本堂の横の建物の入り口でカフェの利用を確認され、靴を脱ぎ靴箱にしまってベンチで少し待たされた。まるで親戚の法事に来たみたいだった。入り口で住職さんにメニューを説明され、抹茶ラテとあんバタートーストを注文した。お団子やお抹茶といういかにもお寺のカフェらしいメニューも捨てがたかったけれど、無駄に歩いてお腹が空いていたので、腹持ちの良さそうなトーストと、和の雰囲気に引っ張られてか、抹茶ラテにした。

通された店内は広い畳張りの和室で、黒くて長い和風のテーブルがいくつか置かれていた。骨董品のような照明がいくつか吊るされていたけれど全体的に室内は薄暗くて、縁側いっぱいに広がる真昼の冬の日本庭園は、写し出された映画みたいに明るかった。先客のほとんどは庭園がよく見える縁側よりのテーブルの、窓に向く席に座っていた。そこが空いてなかったこともあるけれど、少し寒かったのでそのとなりの一列奥の席に座ることにした。食べ物が運ばれてくるまでしばしぼーっとし、視界に入る人々や庭園を眺めていた。

先客はママ友らしき人たちや、学生カップル、ビジネス書数冊を積んだ横で、マックを開いているパーカーのお兄さん。平日の昼間のスタバの客層と対して変わりはないのだろうけれど、お寺の中ということもあってか、皆少し抑えた声で話し合っている。「静粛に」とか書いてあるわけでもないのに。でもなんとなく、誰かとここに来ていたとしても大きな声で話す気にはならないと思った。

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運ばれてきたあんバタートーストは見ての通りめちゃくちゃ美味しそうで、見た目以上に美味しかった。バタートーストに最初にあんこを乗せた人、天才だと思う。抹茶ラテは「本格的な抹茶を使っています」と住職さんにオススメされただけあって、ほんとうに美味しかった。ただ、抹茶ラテといえば甘いものだと思いこんで飲んでみたら、全然甘くなかったので少しどきっとした。そういえば、運んできた去り際に砂糖は入り口にあると言われたんだっけ。

あんバタートーストがたっぷり甘かったので、結果的に無糖の抹茶ラテはちょうどよかったのだけれど、甘いと思ったものが甘くなかった時、裏切られたなうな気持ちになる。人生も意外なところで甘くないし、なんて思いながら、今日はそういうこと考えるのもうやめるんじゃなかったっけ?、なんてまた考えてしまっていた。

ゆっくり味わいながらトーストを楽しんでいるうちに数人の客が帰り、元々静かだった店内がもっと静かになった。よく焼かれたトーストは齧るたび良い音がいちいち響いて、ますます美味しく感じられる。単純な五感を持っていて幸せに思う。やがて目の前に座っていた客も帰り、日本庭園がよく見えるようになった。冬にり色を落とした木々も、黒っぽい店内からはずいぶんカラフルに見えた。そういえば、この庭園の向こう側には墓場だった。そんな場所にうっかり辿り着いたことを思い出すと、なんだか笑えてしまった。

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和室はいい。今のマンションはフローリングだけれど、実家の自分の部屋は和室だったから、どこか気持ちが落ち着く。怖いくらいの静寂の中で甘くない抹茶ラテをすすりながら、誰からも何も与えられていない自由を実感していた。物足りないくらいな気もするけれど、こういう時間の中に落ち着きを感じられたのは久しぶりな気もしたし、初めてのような気もした。

夜はネイルサロンに行った。前々から仕事終わりに行くつもりで予約していた。ネイルには結構こだわりがあるのだけれど、それはまた別でちゃんと書こうと思う。

今朝は休むと決めてよかった。普段ささやかな楽しみとしているものばっかりできた1日になった。いい日だった。心は1日をかけてゆっくり生き返っていた。

もうしばらく朝起きるたびに心が死んでしまっても、私がほんとうに死なない限り、心は何度でも生き返る。誰にとっても、そういう風にできているのだと思う。

今は朝が来ることがどうにも怖いけれど、それでも勝手に時間が経てば朝は来る。どんな朝になろうと、まぁどうにかなるんだと思う。生活に楽しみがある限り、時間が与えられることは希望以外の何物でもないのだから。