夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

ひととつくる喜び

初めて記事を書いた。ブログとかツイッターとか、中学生の頃はリアルとか、長かれ短かかれ昔からネット上で自分で文章を書くのは好きだった。一昨年はネプリを1度だけ作った。どれもこれも全部自分で書いて確認して世に出して、気のままに消したりもしてきた。

今回サイトに掲載されるにあたり、人と一緒に作業を進めた。公開前の記事を人に見てもらうだけでも歯がゆかったし、それでもちゃんと整えられていくのを見ているのは楽しかった。つい会社の仕事中も、依頼された記事のことをあれこれ思いこんでしまって集中力が途切れ、いつかと夢に見ている会社員兼小説家ってすごい遠いところにあるんだなと思い知った。

そして今日、その記事がついに公開された。色んな感情が高ぶって、どうにかなってしまいそう。起きていることがまだ信じられなくてまだ戦々恐々としている。

それでも依頼をいただいてから提出期限まで毎日悩みながらガリガリ書き続けてようやくできたものなので、恥ずかしさより嬉しさや達成感ほうがずっと多い。なんだかワクワクしているくらいだ。どうか、たくさんの人に読んでもらえますように。

記事はこちらです。 https://www.glitty.jp/2019/01/last-train-16.html

終電にまつわるエッセイということで、終電を気にせず過ごしていた、町田の学生マンションに住んでいた頃の思い出を書いた。思い出せることをいくつか書いているうちに、そういえばこんなこともあったなぁなんてふと思い出すことも多かった。

文中に出てくる好きな人に貸してもらった江國香織の小説は『左岸』だった。文庫本で450ページで上下巻合わせて900ページという、なかなかのボリュームだった。長かったけど内容は面白かったし、何より早く本の感想を話したくて頑張って早く読んだ記憶がある。本はその時借りて返したり、もう読んでいなかった。今日なんとなく本屋に立ち寄って、『左岸』がないか探してみたけれど、全然見つからなかった。書店内をうろうろしていると、この本には文中に出てくるある男性の視点から描かれた『右岸』という小説があることを急に思い出した。辻仁成さんが書いたもので、こちらも分厚い文庫本で上下巻があったはず。

私が「ひととつくる喜び」を知るきっかけをくれた本は、江國香織さん自身も誰かと一緒に作った本だったんだ。ちょっと運命みたいでどきどきしてしまう。

『左岸』を貸してくれた彼は、『右岸』は「あえて読まない」と言っていた。「長すぎるし、もう十分」だと。

あの時、もし私が『右岸』を買って読み、彼に貸してたら、何か違う未来になっていたのだろうか。

なんてバカなことを今更ながらちょっとだけ思った。

書店内の検索機で『右岸』を調べると、奇跡みたいに上巻のみ在庫が1冊あったので、迷わず購入した。『左岸』さえ、読んでからもう7年(7年⁈)経っているから、話の内容はなんとなくしか覚えていない。彼が『右岸』を読んだのかどうかもわからないし、記事に書いた通りもう会うこともない。感想を聞きたくても聞けないだろう。

それでもこの本を読みたいと思った。

記事に思い出話を書きながら、好きだった人のことより思い出したように。読みながら思い出せる思い出が、この物語の中にきっとあるはずだから。