夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

けむたい憧れ

たばこを吸ったことがない。昔の恋人や愛煙家の友人に吸ってみたいと申し出ても、吸うもんじゃないし、女子は吸うな、などと言われて、結局吸わせてくれなかった。

においは苦手だけれど、煙そのものを見るのはなんとも好きだ。太くのびて広がるけむりは、穏やかな風になびくレースのカーテンみたいで、空気に溶けてしまうのがもったいないくらいにきれいだと思うことさえある。
でも、自分では吸わない。健康によくないとあれほどしつこく言われているものを、お金を払ってまで・・・とはなかなか思えないし、もし今から吸い始めたとしても、いつか結婚して妊娠して禁煙を強いられたときに禁煙できないぐらいハマッてたらどうしよう…などという無駄に先走った心配もあって、吸ってみる勇気がない。こんなかんじなので、おそらく一生吸わないと思う。

今一番身近でたばこを吸うのは、職場でいちばん頼りにしている上司だ。仕事で、二人で外出することが多い。出先でランチを取る際などに「喫煙の店でもいい?」なんて毎度のこと申し訳なさそうに聞かれていたのだけれど、最近は何も言わずに喫煙可の店に入り、私への確認もなく店員に喫煙席を指定するようになった。マナーがどうとか配慮がどうとか言う人は言うのかもしれないけれど、個人的にはもうわかったことをいちいち確認されないほうが気が楽でいい。

上司は昨今の禁煙推進の風潮に肩身が狭いと嘆きつつ、それでもたばこをやめる気はないと言う。たばこが本当に好きなんだろう。あいつほんとたばこ好きだよな、と一緒に喫煙室に行っている他の先輩たちも口を揃えて言っている。吸う人が全員たばこ好きってわけじゃないことも、最近になって知ったことだ。

そんなたばこ愛溢れる上司は、たばこを吸っていないときもたばこについて語り出すことがある。昨日も、面談をしながらたばこの話になった。

「たばこを吸うことはただの時間を浪費で、こんなぜいたくなことはないんだよ」

と、いつになく真剣に言われた。そのすぐ後、「なんて格好つけるわけじゃないけど」と照れくさそうに笑ってつけたされ、なんか可愛くて笑ってしまった。

何がぜいたくなのかは個人の嗜好によるものだけれど、自分の好きなものは自分にとってぜいたくなんだと思える時間があること、

それを違う価値観の相手にこんなにも堂々と言える(そのあと若干照れたとしても)上司は、本当に格好いいと思う。

ふと、当たり前の瞬間などないのだと気を引き締めることはあるけれど、自分にとってのぜいたくな時間だなんて思うこと、そうそうないと思う。今の生活の中だったら、たまに外食で好きなものを食べたり、作家のトークショーや対談に行くことはかなりぜいたくな時間だと思うけれど、どれもお金がかかっていたり、非日常の訪れによるものだ。

日常のなかの、私にとってのぜいたくってなんなんだろう。まだよくわかんない。ただ、自分が吸わないで人が吸っているたばこの煙を目で追って楽しむことって、ある意味めちゃくちゃぜいたくなのかもしれない、なんて思う。