夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

成人式とその前の日

6年前に参加した成人式は、とんでもない大雪だった。東京で大雪なんて年に1、2回あるかないかぐらいなのに。よりによって、自分の成人の日に。

でも私はそんなことより前日失った前歯の一部に気をとられていた。雪なんてもはやどうでもよかった。

当時大学近くで一人暮らしをしていたので、成人式前日は実家に帰省し、ぬくぬくとくつろいでいた。夕飯を食べながらテレビのバラエティ特番を見てゲラゲラ笑っていたら、カチンと小さな音がして、テーブルの上に白い小さな粒が弾けた。なんだこれ?と思ったら、歯だった。

10歳の時、犬の散歩中に顔から転んで前歯が欠けてしまい、かけた部分に詰め物ではなくてなんていうんだろう…まぁとにかく、作り物の歯をくっつけて、元の形に近いようにしておいてあった。見た目もよく見ると若干色が違うけれど、まぁ言わなければわからない。その治療以来、そこが欠けたことはなかった。最初は安定するまで食事で前歯を酷使しないようにとか注意されていたけれど、慣れてからは普通になんでも食べられたし、なんなら前歯を折ったことなんてほぼ忘れていたぐらいだった。

それが、とれた。よりによって、成人式の前日に。

めちゃくちゃ落ち込んだ。人生一度の成人式に。大好きな着物を着れる日に。自分で選んだとっておきの、死んじゃったおじいちゃんが買ってくれた振袖を着る前日に。みんなに会うのに。親友に、親友というほどではないけれど仲が良かったあの子に、ずっと好きだったけど5回くらいフラれたアイツに、同窓会で久しぶりに会えるというのに。

成人式は1月の第2月曜で、つまりその前日は日曜日。歯医者は休み。せっかく地元に帰ってきていて、前歯を折ったときに行っていた歯医者に、自転車で10分で行けるのに。そもそも夜のバラエティ番組を見ているタイミングだったので、今から行ける歯医者自体もうない。いつ何が起こるのかわからないのが人生と思い知った日だった。

今思えば良いネタができたのかななんて思う。結構ウケるし。ほかにこれといって思い出もなかった。成人式がつまらなかったわけではない。色んな子に久しぶりに会えたし、好きだった人とはなんと写真まで撮れた。中学卒業時の私が聞いたら喜ぶ程度の思い出はそれなりにできた。でもやっぱり、歯が折れた衝撃が何よりも上回ってしまうのだ。

前歯を転んで折った10歳の頃は自分以上に親が随分と慌てていたけれど、今回はそんなに騒がなかった。「あんたついてないね」「前撮りしといてよかったね」両親ともそのぐらいだった。なんでもない日に転んで歯が折れるのと、明日は人生一度の成人式という時に笑って歯が取れるの、どっちが深刻かなんて考えるまでもないのに。10年経って、大学生になり一人暮らしもしている私は親にとって、もう子どもではないのだなとつくづく思った。

両親とも、小学校高学年になったあたりで体調を崩し、入れ替わるように入院していた時期があった。私が学校で「二分の一成人式」という十歳のお祝いをされていた頃、母は癌摘出、父は悪性腫瘍の除去の手術をした。

「二十歳まで、二人ともいると思うな。」

母にはそう脅されるように言われた。その言葉通りの不安は二人が退院して働き出すと同時にみるみる消えていった。それよりも、言われた言葉だけがずっと覚えていた。残っていた、という方が正しいかもしれない。

あれから10年経って、前歯の欠けた部分を鏡で悲しく睨みながら「二人ともちゃんと生きているなぁ」なんて一人しみじみ思った。あんな脅しを10年前にしたこと、母はもう忘れていたかもしれない。その2年後に母は急病であっという間にこの世を去り、それはもう聞けなくなってしまった。母の遺影は、私の前撮りで撮った家族写真のものを採用した。「前撮りしてよかったね」と思った。私が二十歳になった証の一枚は、母が生きた証の一枚にもなったことが、母を亡くしたばかりの悲しい時間の中でも少しだけ嬉しかった。

二十歳になってから6年、大人になっただろうか。否応無く色んなことを知ったけれど、それをちゃんと内面化できているのだろうか。なんて振り返ることもないほど、仕事や煩悩に忙殺されてばかりいる。

でも、「大人になったなぁ」って思うために、大人になるわけじゃない。

まだまだ、やりたいことがあるし、その中にはできないこともある。それを自分でどうにかしていくことが、子どもでも大人でもいいから私自身のやるべきことだと思う。