夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

7/18

17年前にやってきた犬が死んで、明日火葬することになったので慌てて実家に帰ってきた。

週の頭に数年前から患っている発作を起こしてしまい、父が病院に連れて行った。もう老衰が進んでいるので処置をするのも体に負担を与えてしまうとのことだった。その時を家族で待つことを選んだ父は、犬が天国へ行った後、私に連絡をくれた。数年前に病気がわかった時は、あと1年と言われたけれど、それからまた数年経っていた。ほんとうに、よく生きた。

父によると犬は昨晩から苦しみ始め、日付が変わる前から眠らずにずっとそばで見守っていたけれど、昼前にとうとう眠気に襲われてウトウトとし、ハッと気付いた時には安らかに眠っていたそうだ。

苦しむ犬のそばでただ体を撫でて見守ることしかできないまま一晩過ごすのは、父にとってもとても辛かったと思う。そんなわけで大役を果たした父は今夜はぐっすり自室の布団で眠っている。その隣の床には、ぴんぴん生きている猫が堂々と眠っていてくれて、なんとも安心する。

 

犬の亡骸は保冷剤でちゃんと冷やしながらも、家の中で一番涼しい私の部屋で、最後の我が家の時間を過ごすことにした。夏なので寒そうというより気持ちよさそうに見えるから、なんとなく心が救われている。

晩年ますます身だしなみの手入れを嫌がって噛み付いてくるので、なかなかできなかった耳掃除をたっぷりやってやった。パピヨンは耳がチャームポイントだ。

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どんなにしつこく掃除しても、今夜はちっとも嫌がってくれない。そうか、そうだよね、なんて一人で淡々と作業していたらどんどん寂しくなって、いよいよぼろぼろに泣いてしまった。それでも、最後はなるべく綺麗な姿にしてあげたい。汚れてしまったところを拭き取ったり、絡まった毛をちょっとずつ切り落としてかるく毛並みを整えれば、いつものふわふわな犬になった。いつまでもいつまでも、ほんとうにいつまでも撫でていられたらいいのに。

 

晩年はおとなしくなってしまったけれど、よく食べてよく走る、とにかく可愛い犬だった。よく散歩で江戸川の河川敷に行った。土手の上に上がると、少しずつ大きくなるスカイツリーや、増えていくタワーマンションなど、少しずつ変わっていく東京下町の風景が見えた。私も少しずつ歳を重ね、そして常に隣には犬がいた。一緒に大人になってきたつもりでも、やっぱり先にいってしまうんだね。

わかっていたけれど、わかっていた以上にずっとずっと寂しくてたまらない。

17年という私の人生の半分以上、幸せな時間をいっぱいくれてありがとう。これからもずっと、ずっと大好きな家族だよ。

おやすみ。