夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

日記 4/17

前の部署の最後の最後の仕事を終えて、新しい仕事をもらった。

2020年4月から運用するものを開発するんだけれど、今から作らないと間に合わない。こんなに先のことを見据えて、そこから逆算して日々のやるべきことを決めていくなんてほぼ受験勉強以来だなと思う。頑張らなくちゃな、と思う。

終業後、友人とスタバのイチゴのフラペチーノを求めて渋谷へ行き、無事飲んだ後に夕食を食べにお好み焼き屋さんに入った。(普通逆だろう)

お酒も飲まず最近の仕事の愚痴とかをお互い話しながら食べ進め、こないだも書いた最近楽しみにしている「パリコレ学」の話をした。友人は「いいことを言っているのはわかるけれど、厳しく指導され泣いている姿が辛くて見られない」とあまり見れないらしい。

私は自分をあんなふうに怒ってくれる人がいないから羨ましいと思っているんだなと気づいた。

友人は保育園で働いているので、女性の多い業界で、女性が女性に厳しい言葉を投げかけるのは私より見慣れているし、だからこそたしかに見ててしんどいのかもと思う。

一方私は男性が多い職場で、上司たちはハラスメント社会の最近では注意したり怒ったりできないんだろうなと思う。あまりにもやらかしたのに、なんで怒らないんだろうと思っていたけれど、上司たちはうっかり怒ってしまうことに怯えているのかもしれない。

もちろん無駄に怒られるのは嫌(もし無駄じゃないとしてもできれば怒られたくないのは本心)だけど、あまりに怒られないと私に興味ないのでは?とさえ思えてくる。親に怒られる時は怒られて生きてきたからだろうか。

自分にとって、親と親じゃない大人たちの間にははっきりとした線が引かれているけれど、地域柄か私を他人の子どもとして怒る人はいたし、習い事の先生や学校の先生にも怒られてきた。愛があることを言い訳にする人はいなかったから、愛だったのだと今はわかる。

そのうち何かをきっかけに、「怒りまくりましょう!」みたいな世界に変わるのかな。そうならないでほしい。愛しい人たちがちゃんとガス抜きできてますように。