夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

日記 4/8

いっぱいいっぱいな1日だった。出勤時は新しい仕事の説明であっという間に終わった。楽しみにしていた写真のフィルムは撮れてなかった。(ダメだったなら事前に連絡くれたらよかったのにとか思う。)もうお店でしかフィルムいれないと心に誓う。家に帰ってミスドをやけ食いし、夕食をとって、小説を書いてたら親友から結婚報告があってなんか感情が追いつかない。でも嬉しい。嬉しいけど。めでたい。めでたいけど。少しさみしい。

ほんのちょっとしたことですぐに、世界で自分だけが色んなことがうまくいってないような気がしてしまう。

「何もマイナスになってない。何も焦らなくていい。」

そう言ってくれた元上司は今日、お子さんの入学式で休みだった。その言葉は最初メールだった。ボロボロで泣きながらの日々に送ったメールに返ってきたのがその一言だった。その一言が嬉しかったと返事をしたら、面談で直接話している時、メールでも送ったけど、と話してくれて嬉しかった。

異動の挨拶メールに、偉い人が返事くれていて、その言葉に元上司からお礼のメールが送られていた。

「古井が頑張れたのも、(偉い人)さんのご愛顧のおかげです」

異動後も私を自分の部下の一人のとしてくれていることが、今のへろへろな私には心強かった。そのメールが送られていたのは、ノー残業デーの日の残業時間中だった。

そんな上司にお礼も言えない月曜日はたださみしかった。

なんて、またそうやってだれかに依存しそうな自分が情けない思う。依存できれば誰でもいい。その人の恋人になれなくてもいい。好きになってはいけない人でもいい。友達でいい。男でも女でも誰でもいいから何しても甘えさせてくれる人が近くにいることでどうにか凌いできた。そのくせ相手に依存されるのはゴメンだ。責任はいらない。欲しくない。そんなふうにずる賢く素通りしてきたものが、自分の影に潜んでどんどん積もってきている気がする。

そんなやさしい人たちに自分は本当にやさしくできているのだろうか。誰かの役に立っているのだろうか。

いくつになっても、自分の中で自分を許せない。手放せない。この感情はなんだ。この弱さはなんなんだ。