夢見草子

桜の別名を夢見草といいます。徒然なるままに休み続ける日々。

日記 2/20

みなとみらいは風ばかり強い。今の家から歩いて行けるみなとみらいはもう観光地というより生活圏内の風景になってしまった。夜景こそ綺麗だけれど朝っぱらからとことこ歩いても「建てられました」ってかんじの歴史もくそもないような特徴のないデカいビルばかり並んでいる。「東京」のつく歌はあるけれど「みなとみらい」って歌って言われるとすぐ浮かばない。ビルだらけは東京で十分なのだ。みたいな歌をサカナクションが作ってくれたらいいのに、と勝手に思う。あまりにも温いので「なんてったって春」を再生しながら歩いていたら、次に「モノクロトーキョー」「表参道26時」がシャッフル再生され、東京の歌ばかり聴いていたらだんだん横浜がかわいそうになってきた。

コンビニしか開いてない朝のみなとみらいへ行ったのは通院のためだった。診療の結果、しばらく毎週通院することと薬を飲むことになった。

すぐどうにかなるものでもないので、話をしたのと薬をもらっただけであまり変わりはなかったけれど、思わぬ嬉しいことがあった。カウセリングをしてくれた心理士さんが、私が仕事でやっている会社のSNSのファンで、配信コンテンツをいつも見てくれているとのことで「あれ、いつも面白いです」と自然に話してくれたことが、ここ最近でとても嬉しかった。

私は私が勝手に落ち込んでダメになっているのに、人にしか救われることができない。

それは情けないことでもあり、ありがたいことなんだと思う。

家に帰ると気が抜けて涙が止まらなかった。長い戦いが始まってしまったことが苦しい。病気に勝ち負け表現を使うのは嫌いだ。そもそも競争心がない方で、頑張っている人を見て「負けていられない」と思う時は、別にその人に勝ちたい時ではない。

普通の人なんてほんとうはいないように、病気じゃない人もほんとうはいないのではないのか。テレビをつけたらまた堀ちえみの癌闘病のニュースばかりやっていたのですぐ消した。病気に負けないという言葉を発せられることをもてはやしている、いつか彼女が亡くなった時も病気に負けなかったと言われるのだろう。

しばらくぼーっとしていたら眠ってしまいそうになったけれど、薬を飲まなくちゃいけないので寝てはいけない。それでも今はソファの代わりにベッドに腰掛けて1日を過ごしているのでうっかりいつでも眠ってしまう。眠らないためにも外へ出た。なんとなくパンケーキが食べたくて、また歩いてみなとみらいまで行き、朝行列していたのにもうガラガラのお店のパンケーキを食べた。

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焼きあがるのに時間がかかると言われたけれど本を読んでいたらすぐ来た。三段で分厚くてきれいなパンケーキだったけれど1人だったので一瞬で食べてしまった。ウミガメの足みたいな大きなプロペラがくるくると回っているハワイアンな店内でのんびりする自分と対比するように、縦に長いだけの硬そうなビルからスーツの人間の群れがつつかれた蜂の巣のようにぶわっと出てくる。正しく生活する人たちを見るとそれだけでぐったりしてしまっていたけれど、今日から1日が終えるための薬があるのだと思うと、少しホッとする。